入澤ユカ

restricted sight / INAX GALLERY 2, 東京
呼吸星雲
2005.12.1 – 12.24

大西康明の作品を最初に見たのは大学の制作展で、草むらに設置された金属パイプのフレームが、仕掛け花火のように激しく闇に爆ぜているものを写した大型の写真だった。彫刻としてのコンストラクションや、金属という物質が変わっていく瞬間、そして圧倒的な光のさまを写しとっている。次は暗幕を張り巡らした暗闇の空間に、一瞬の閃光で姿をあらわすインスタレーション。大小の箱を積み上げた都市のビルの輪郭をもったもので、輪郭に張り巡らされた畜光シールのドットが暗闇で間歇的に瞬く光によって浮かびあがり、網膜に焼きついた。光のドローイングとも呼びたい作品群にも力があった。そして、いよいよ展覧会は、まだ見ぬ呼吸星雲になった。

 大西に見せられた近作は、DVDのなかで闊達に踊るように、呼吸するものだった。美術作品として動力や光学的なもの、コンピュータによる3Dの作品がたびたび登場するが、ハイテクの駆使で作られたものに見えながら、原初的な構造の動きや姿態に美しさのようなものがみずみずしくあふれ、時としてユーモラスに感じられるものに惹かれ続けてきた。大西康明もそうだが、とらえられないものを作品化しようとする作家は、途方もないやぶれかぶれさと、笑うしかない無尽で無垢のエネルギーをもっている。大西の作品を辿ってみると、熱や光で現れ消えるもの、残ってしまうもの、変化していくもの、とらえられないもののすべてを表現したがっている。大西の制作は金属の彫刻からはじまっているが、金属は熱で加工する。熱と光という事態の中にずっといた。初期のガワ(境界)という作品は、切り倒された松の木を輪切りにし、円環状につなぎ合わせ、その表面をある表情に細工した鉄で覆っていく。円環のまま鉄を溶接し、やがて野焼きのように焼かれると、内部の松の木は炭化して姿を変える。出現したのは、松の木の姿態をとどめた鉄の円環だ。そこで炎という光は質量の変換を果たすために重要な役割を担っている。大西の光は炎だった。炎という熱をもったものは視覚、聴覚、触覚、嗅覚にまでに訴える。しかし、写真には光芒しか残らない。大西の作品を室内空間で見たいと思っても、熱や光の臨場感をリアルに伝えるのは至難で、今まで展覧会に踏み切れなかった。凡庸なギャラリー空間で、炎や残光や眼裏の流れ星がどのように見るものに伝わってくるのかと。

 今展を「呼吸星雲」と名づけた。薄い透明な膜に貼られた無数の畜光シールが空を舞うくらげのようにゆらめく。息をするようにへこみ膨らみ瞬く。星雲が胸元あたりでいきものの気配を満たして瞬く。仮想と夢想だった熱や光線、光芒や蛍火の大西康明の作品が、触れるほどに近くなった。2005年12月に生まれる京橋星雲の誕生に立ち会える。

INAXギャラリー チーフディレクター 入澤ユカ