森谷 佳永

けはいの純度
tracing orbit / 5 Rooms II – けはいの純度 / 神奈川県民ホールギャラリー, 横浜
2018.12.17 – 2019.1.19

 「5Rooms」は、文字どおり5つの展示室がある神奈川県民ホールギャラリーで、一人の作家に一つの展示室を委ね、同時代のアートを紹介するグループ展である。2回目となる今回は「けはいの純度」と題し、「目には見えないけれど確かに存在する大切なこと」をテーマとした。

 生命、死、時間、心の動き、存在の痕跡など…、美術にはそのような、言葉にすると本質から離れていってしまいそうな物事を、瞬間的に直感で捉えさせる力がある。そのような「目には見えないこと」を「けはい」という言葉に置き換え、作品を通して探り、提示してみたいと思った。


Room 5 大西康明

― 視線の向こう側

 ギャラリーで最も広い第5展示室は、地上と地下にまたがる吹き抜けの中央に階段があり、上から見下ろすことも、下から見上げることもできる特徴的な空間である。かつて多くの作家たちが印象深い展示を行ってきたこの部屋は、それを見た人たちの記憶の中に、今はもう見ることのできない風景として堆積しているのではないだろうか。

 今回の展覧会を考えるにあたって、大西康明の《体積の裏側》という作品が私の中に引っかかっていた。山積みにしたダンボール箱に薄い半透明のポリシートをかぶせ、天井側から黒い接着剤(ホットボンド)を垂らしながら形をつなぎとめてゆき、最後に段ボール箱を抜き取ると、空中に山脈のような形の膜が出現する。鑑賞者はその空洞に入り込み、頭上に浮遊するシートの裏側と、おびただしい数の接着剤を垂らした行為の痕跡を見上げることになる。自らの作品を「空間全体を塊のように捉え、そこに行為や現象を加えることで形態を明らかにしていく彫刻」であると考える大西のコンセプトを見事に表した作品だと思う。第5展示室を大西康明という作家に委ね、この大きな空間に新たな風景が立ち上がるのを見たいと願った。

 初めてこの展示室を訪れたとき、大西はすぐさま、水平面に階層的にテグスを張り、その上に収縮させたポリシートを載せるというアイデアを思いついた。「上からも下からも見ることが出来るこの空間を活かしたかった」のだという。紆余曲折を経て展覧会の始まる1か月ほど前に、テグスと紙テープを使うという現在のプランにたどり着いた。誰よりも早く会場入りし、天井に近いところから水平面にテグスを張る作業をはじめ、約1週間かかって6層が完成した。この過程で、それまで認識できなかった空間の具体的な大きさを捉えられるようになったのは、興味深い体験だった。空中に格子状に張られたテグスによって、水面のような効果が生まれ、空間に深さと奥行きの尺度が与えられた。そのことによって、水で満たされた部屋の中を自由に泳ぎまわるような感覚で空間を眺めることができるようになったのだ。次に、この透明な塊となった空間に「行為」を注ぎ込む。「行為」を可視化するために選ばれたのが紙テープだ。階段の踊り場から大西が投げた紙テープは、重力に従って線を描き、その軌道をテグスの層が絡め取る。おびただしい数の紙テープの線が描かれることで空間の形が明らかになってゆき、堆積したカラフルな紙テープは、どこか祝祭的なイメージをもたらした。港に面したこの地においては、旅に出る客船から投げられる紙テープを想像する人も多いのではないだろうか。《tracing orbit》(=軌道をうつしとる)と名付けられたこの作品は、空間に対する新しい身体感覚を呼び覚ますものとなった。

展覧会カタログより抜粋
神奈川県民ホールギャラリー 学芸員 森谷 佳永