正路佐知子

vertical emptiness (volume of strings) / 福岡市美術館
2014.1.5 – 2.23

想像しなおし

 大西の作品に対峙した者は、そのコンセプトの明快さ、そして元来かたちを持たない素材によって生み出される圧倒的な造形に呑み込まれることだろう。たとえば「体積の裏側」のシリーズは、ポリエチレンシートが黒い接着剤(ホットボンド)によって天から吊り下げられ、制作の過程で積み上げられた段ボールや家具の形状が、透明の峰のように出現する。文字通り裏側を見せる作品の構造によって、観者は黒い接着剤で吊られたポリエチレンシートを下から見上げるという経験をする。未見の何物かに出会い、未知の経験をしたとき、わたしたちは既視(知)の何かを連想せざるを得ない。しかしながら「まるで~のような」という比喩は大西にとって何も意味しない。大西は何かの再現を目指してはいない。その事実が、観る者をさらに戸惑わせる。

 大西の作品に貫かれているもの、それは以前彼が筆者に述べた「残骸を見せる」という一言に尽きる。「残骸」が何を示すかについては、彼の初期作品である2001年の《ガワ(環)》が雄弁に語るだろう。丸太を環状に並べ、その表面を鉄板で覆い、燃やし、内側の木を焼失させた本作は、失われた物体の形状を象った鉄の残骸を作品化したものだ。学生時代に彫刻を学び、自分自身の彫刻を求め行き着いた先が「残骸」であった大西は、2002年以降、蓄光塗料の塗られたロープやレーザーポインタで空間や物の形状をなぞり、それを幾度となく繰り返し、多重露光や長時間露光によって一枚の写真に焼き付けた《mountainroom》と《two sights. vessels 2》、単管によるフレームをグラインダーによって削り火花を散らした様を写真に収めた《闇事8》など写真の形態による作品を発表する。それは写真でありながら、既存の空間や物の形/表面をなぞり象るための所作とそれによって現出するかたちを求めた結果であり、「残骸」であった。同じ作業を繰り返し行った跡がそこに刻まれているとするなら、「残骸」を「痕跡」と言い換えた方がわかりやすいかもしれない。写真の形式をとろうとも、空間の中に仮構的に出現するインスタレーション的様相を見せたとしても、行為が刻まれたその作品は大西の「彫刻」である。だから近年、接着剤を用いたスタイルを確立した大西にとって、接着剤は物体同士を繋ぎ合わせる機能よりも、制作のプロセスにおける行為と時間の痕跡/残骸を可視化するために必要だったのであり、それに最も適した素材であったといえる。大西の作品制作において特徴的な、気の遠くなるような作業の反復は、接着剤による線によって作品中に刻印され、制作にかかる時間の堆積は、大西が選び取った素材によって見事に表わされる。さらにコントロール不可能な要素である燃焼、重力、結晶などの現象を加えることで、大西自身の想像を越える表現が生まれる。

 本展出品作《vertical emptiness (volume of strings)》は、2013年夏に京都芸術センターで初めて発表された《垂直の隙間》に連なる作品である。京都の《垂直の隙間》は、天井から木の枝が吊り下げられ、その枝々から透明の接着剤が垂らされ地と繋がり、その上から吹き付けられた尿素が結晶化し「まるで雪景色のよう」に白い世界が生まれた。本展出品作の巨大な彫刻作品《vertical emptiness (volume of strings)》においては、無数に天井から垂れたビニールロープが編まれていったその上から透明な接着剤が垂らされ、尿素の結晶を纏っている。目線まで降りてきた無数の行為の痕跡/残骸は、ここでは線として、隙間として提示される。大西の言葉を借りれば「ハエの視線」のようにその隙間を縫うように奥を覗くという、通常の彫刻ではおよそありえない視覚体験をもたらす彫刻である。そして板に黒い接着剤を塗り込めることで生まれた《untitled》には、接着剤による大西の行為の痕跡が生々しく刻まれている。展示される度に上から黒い接着剤とグラファイトが加えられてきた本作は、「垂直の隙間」が一時的に出現し一定期間後に消え去る彫刻であるのとは対照的に、残骸としての形を留めながらも、姿を変えていく彫刻といえるだろう。

福岡市美術館 学芸員 正路佐知子