土屋誠一
闇を視る / GALLEY b.TOKYO, 東京
2004.3.15 – 3.20
展示室のなかはほぼ完全に暗転している。暗闇に、いささかの恐怖感を覚えつつしばらくすると、突然ライトが一瞬だけ点灯し、中央に積まれた物体がかいま見える。再び暗転した中空を、じっと眼を凝らして見ると、うっすら発光するドットが、そこに積まれていた物体の形態がわかる程度にちりばめられているようだ。その様は、あたかも夜のネクロポリスにおける、微かな残光を、上空から俯瞰しているかのようにも見える。しかし、その死都のさまに、若干のノスタルジーを感じているのもつかの間、再び瞬くライトによって、そのような感傷は否定され、振り出しに戻される。一瞬の閃光の間に、そこに積まれた謎を探り当てようとすると、次第にそれがなんであるのかが判明してくる。都市を形作る、積載された物体は、あまりにも日常的な消費財に過ぎない、と。
大西康明の今回の作品は、次のような通俗的な消費財からなる。インスタント食品、スナック菓子、洗濯用洗剤等々といった、パッケージ化された消費財がギャラリー中央に積み上げられ、それらすべてのパッケージには、個々の形態をトレースするように、ドット状の蓄光シールが貼られ、展示室が完全に暗転した後も、しばらくのシールの部分だけがわずかに発光するのである。
あからさまに通俗的なそれら商品は、暗転することによって社会的・実用的属性を剥奪され、蓄光シールが放つ微光によって、純粋で抽象的な形態として立ち現れる。しかしながら、展示室上部に据えられたライトが間隔をあけて一瞬だけ発光することによって、そのような純粋性が見も蓋もない通俗性によって形づくられていることを示すのである。この純粋性と通俗性との往還に、この作品の核が存在する。この作品からわれわれが自らの内に発見するものは、抽象的な美の通俗性による反省というよりも、抽象性と通俗性の往還自体に、センチメントを嗅ぎ取ってしまう自らの病である。
美術手帖 2004年5月号 p195 ギャラリーレビュー
美術批評家 土屋誠一