三井知行
空洞の彫刻 / アートコートギャラリー 大阪
2014.11.8 – 11.29
大阪市が若手芸術家に贈る「咲くやこの花賞」の平成25年度美術部門の受賞記念展。受賞者の大西康明は、若手とはいえ既に10年以上のキャリアがある。今回の個展は、作品数を絞りながらも、その最初期から最新作までを空間を有効に使って展示し、大西康明という作家の全体像を紹介するような構成となっていた。
会場のアートコートギャラリーは民間の画廊だが、美術館のような大きな展示空間を持つ。2つの大きな展示室では、空間全体を用いたインスタレーション的な作品を展示、特に奥の一番広い部屋には新たな展開を予感させる新作が置かれ、まさに「将来が期待される」という賞の趣旨に応える内容。一方で通路的な空間には、作家の出発点といえる彫刻1点と平面(写真)やレリーフ状の作品を展示。これらの比較的小さい作品は、2つの大型作品に付随するような作品ではなく、全く独立した作品として魅力を放っていた。
大西の作品は、彫刻的な思考での空間の取り扱い方に特徴があるといえる。彼は −他の何人かの現代彫刻家と同じように− 彫刻を表面、作品の内部と外部の空間の境界として捉える。そしてその境界を表現するわけだが、彼の多くの作品では本来充実した量塊(マッス)であるはずの内部=彫刻が消失してしまい、その界面が皮膜=ガワとして残され、作品化される。さらに、いくつかの大型作品では、鑑賞者がその内部空間に入ることで、彫刻の外部と内部が逆転させられてさえいる。
ところで、今回発表された最新作「空洞の彫刻 empty sculpture」は、接着剤を垂らして作った糸でできた、黒いクモの巣状の塊がいくつも宙に浮かぶ作品である(照明も工夫され、壁に映った影も美しい)。さまざまな意味で新たな作風といえるが、特に鑑賞者の視線と作品の位置関係の変化は重要と思われる。これまでの作品では、鑑賞者の視線は表現された空間の境界と基本的に同じレベルにあった。実際には作品(境界面)の内か外から見るのだが、境界面を真横から見るような意識を持つように視線は誘導されていた。しかし、新作では視点と作品の距離は離れ、外側から空間の境界面、というよりは作品の“表面”を眺める感覚になる。その変化が良いか悪いかではなく(それは今後の展開を見ないと評価できないだろう)、作品に新たなフェーズが導入された、そのことを評価したいと思う。
先に作者の全体像がわかる展示と書いたが、実は本展には各地の美術館などで発表された2つの代表的な作品−巨大なビニールシートの作品と、尿素の結晶による作品− は出品されていない。代表作を欠いてもなお全体像がわかるところに、作者の一貫した制作と並々ならぬ力量が現れている。
大阪新美術館建設準備室 学芸員 三井知行